大学院を修了し就職をする予定だったが、昨年の春から予想外の事が続き、2012年8月に会社を設立し1年が経過した。 巷では、創業ブーム(否、より正確には創業支援ブーム?)と言われているようである。私の創業の経緯をお伝えすることで、どなたかの何かの参考になればと考えブログを再開することにした。
2012年10月14日日曜日
下部消化器X線検査の結果を聞いて
「相手の身になって対応しなさい」や「お客様だったらどうして欲しいか考えてみなさい」なんて言葉は、新入社員研修でも、顧客満足度向上セミナーでも必ず耳にしそうな言葉である。
では相手の身になったり、お客様のご要望がわかるようになるのにはどうしたらいいのだろうか?
センスのある人、感性の優れた人は努力でできるのかなぁ…、でも凡庸な私には、難しそうだなぁ、というのが、わたしの自己評価である。
話は変わるが、あまりにも相手の事を考えない対応に私自身が大いに不満を感じ、不信感をいだいてしまった経験をご紹介したい。
ある年に人間ドックの結果、精密検査を進められ、大腸にバリウムを注入しX線撮影または内視鏡検査のどちらかの受診を勧められた。
担当の医師の推奨はX線撮影だった。ご存じの方もおいでになるかと思うが、この検査では、おなかの中を空にしなければならないため、前日の3食は病院から提供された検査食のみ、飲料も制限される。その上で当日は、あまり楽しくない(ちょっと恥ずかしい)検査を受けなければならないのである。
不安を残したま放置するのは精神衛生上良くないので、医師おすすめのX線検査を選択した。
精密検査の結果を聞きに行くと、医師が開口一番に発した言葉は下記のようなものであった。
「お水を飲みませんでしたか??写真では腸内の水分が多すぎて判断できないので再検査するか半年後にまた来てください」
わたしは「もちろん検査前は水分摂取も含めご指示の通りに前日を過ごしました」と答えながらも、この医師は自分自身はこの検査受けたことがないんだろうなと直感し、別の医師を探そうと決意した。
検査前日から、生活面で様々な制約を強いられ、楽しくない検査を敢えて受信した患者に向かって、レントゲン写真の読影が出来ないからといって、その原因をまず患者に求めるなどというのはひどい。
一度でも同じ経験をしていれば、受診に係る生活の不便さや不快な経験を知っているはずで、何の根拠もないまま「あなたのせいですから再検査が必要」と軽々しくは言えないだろう、たとえ医師と患者という立場であったとしても…。
ところで、こうした相手の事情を考えないちょっと困ったやり取りは、病院だけではなく、経営コンサルタントとクライアントの間でも起こる事がある。
例えば、前年度に多額の融資を受けて大規模設備投資をしたばかりの社長に、もっと場所のいいところにもう1か所事業所を作りましょうとか、
新規事業案件の提案に収益試算が添えられていなかったりするを見てきた。
こういうことは経験を積めば自ずと回避できるものなのか、とも考えたが、粗忽な私が同じような過ちを犯さないために有効なのは、自分自身が社長になって、経営者の経験をしてみる事だろうと思った。そうすれば、否応なしに社長の心配事が何か体験できるではないか。
という訳で、私は会社を創った理由の1つは、社長としての経験をするためであった。
2012年10月8日月曜日
決算・確定申告が済む頃には
決算日後の2か月以内に法人税の確定申告を済ませなければならない。
そして、それを見計らった様に、一通の封筒が届いた。某大手信用調査会社から自社の企業概要と、直近の業績の情報の提供依頼であった。
何とうまくできていることかと思わず感心してしまった。
弊社、非公開会社でしすので、開示の義務はないのです。できれば自社の業績は経営者としての通信簿でもあり、やっと2年生になった私としてはお見せしたくないです。
でも、良く考えると、この情報は企業情報データベースに登録され、資金調達の際や、新規取引を開始しようとする際に先方の企業が参照したりするんだろうなぁと思った次第です。
弊社の様なちぃーさな会社は、特に検索されることもないのでしょうが、一昨年までこの会社の企業情報を検索する立場だったわたくしとしては、興味深いできごとでした。
こうやって、企業情報って収集・蓄積されていくものなのですね。
2012年10月4日木曜日
初めての決算
事業をしていく上では継続性は命題なのに、反省しております。
弊社は昨年8月1日に創業しました。このため、今年の7月末日で第1会計年度が終了し、決算となります。法人の確定申告と納税は決算後2か月以内に済ませなければならず、初めて決算書と納税申告を経験しました。ちょっとした行き違いがあり、会計年度内に経理ソフトを変更しなければならなくなり、やや面倒なことになりました。
どうして、わざわざそんな面倒なことを経営者自らが担当するのか疑問に持たれた方も多いと思いますのでその訳をご説明します。
わたくし、中小企業診断士でございます。一部では経営コンサルタントとしての唯一の公的資格(国家資格)とも言われますが、特に*業務独占資格ではなく、だれでも、経営コンサルタントを名乗ることができます。つまり、この資格がなければできない独占的な仕事はなく、各人が自分の専門分野と経営コンサルタントとしてのベースを組み合わせて仕事を作っていく世界だとも言えます。
そんな中で、わたくしは、自らの経験不足をものともせず畏れ多くも、オーナー企業の経営者の家庭医の様な存在になりたいと考えております。そこで、創業一年めは、会社が小さい今のうちに、社長としての一通りの経験をしておこうと思ったのです。だって自分で経験していないことを、あーだ、こーだと口にしても説得力ないし。そういう自信の無さというものは、自ずと相手にも伝わると思ったのです。
わたくしの限られた能力では自分で社長をやってみないと、経営者の気持ちなんて分からないよね、と思いまして。やっぱり、クライアントさんにしても、他人事ではなくて、自分事として相談に乗ってくれる人でないと胸襟を開いてくれないでしょ。
てなわけで、経営者の通信簿ともいえる、決算報告書と納税申告書を自らの手で作成しました。
決算書類も、納税関係の書類も、パソコンのソフトや、電子申告のインフラが提供されていますので弊社の様な、事業形態ではそんなに難しいことではないのです。だって物を作っている訳ではないから、製造原価を管理する必要はないし、小売りをしているわけではないので、膨大な販売先があるわけではありませんから。
で、パソコンに向かいパチパチと作業を進めていると、申告期限の半月前位から、いろいろな営業が入りました。どうやら、世の中には”駆け込み決算”をせざるを得ない会社も多くあるようで、何件かの税理士事務所から、弊社の事を心配してお電話やらDMやらが届きました。
このことからわかるのは、創業1年目の決算は準備不足で、駆け込みであわてて対応しなければならない企業が一定数ありそうなこと、そのことがビジネスチャンスになっているということだと思います。
業績の具体的な数字はここには載せませんが、ん~、創業年度の企業としては、まぁいいんじゃないでしょうか。数字としての絶対値もそうですが、当初の見通しとさほどの乖離なく着地できたという点で。
2期目は、社長の気持ちを理解するための経験を積むなどとのんびりしたことは言っていられません。さぁー、決算処理をしながら構想していた、あんな事やこんな事にいよいよ着手します。
*業務独占資格:
特定の業務に際して、特定の資格の免許、免状等を有する者だけが業務を行うことができ、資格がなければその業務を行うことが禁止されている資格のこと。
2012年9月6日木曜日
私ってそんなに怪しい? マネーロンダリング疑惑??
前回、私が会社を作った1つ目の理由をお伝えしました。
ここ1週間で急に秋の気配が増し、少し疲れが出てきましたので、今回は、ちょっと箸休め。余談です。
会社を作るといろいろな体験ができます。
その過程で、どうやらわたくし、銀行で怪しい人と思われたらしく、実に興味深い経験をしました。
株会社を設立する過程では、”定款”とよばれる会社の組織や運営に関する基本的なルール、いわば会社の憲法のようなもの、を作成し、公証人に認証を受け、定款が認証され次第、発起人の口座に出資金を振り込みます。
この段階では、まだ会社の登記は済んでいないため、当然ですが会社名義の銀行口座もありません。このため、発起人の口座に出資金を振り込み、登記完了後、法人名義の口座を開設しそちらに移すことになります。
ご存じのように、銀行振り込みは通常、手数料がかかります。
私はこの手数料をお支払することに納得がいかず、何とか振込の手数料のかからない方法はないかと考え始めたのです。(会社作るのにこんなところでケチってどうすんのよ、と今は思いますが。。。)
仮に、出資金の振込先をU銀行、私が振り込みたい資金を預けてある銀行をM銀行としましょう。
M銀行からU銀行に振り込みをすると840円の手数料がかかります。
実際には、お札が運ばれるわけではなく、コンピュータ上でデータ交換して、M銀行の残高が減り、U銀行の残高が増えるだけなのですが…。銀行さんに手数料をお支払するくらいならその分でビールでも飲んだほうが気持ちがいいぞ、なんて思ったりして。
それで、手数料なしで送金できる口座のあるX銀行まで出資金を持参し、X銀行の口座に入金し、そこからU銀行に振り込むことにしたのです。ちなみに、X銀行とM銀行は徒歩で2分、実に簡単です。
M銀行での引き出しはあっという間に終わり、いざX銀行へ。窓口で現金を入金しその後U銀行に送金する予定だと伝えると、いろいろ根掘り葉掘り聞かれ…。
根掘り葉掘りの内容は、おもに2点。 =>の後ろは私の応答です。
1.その現金はどのようにして入手したものか =>株を売却
2.なぜ、X銀行に入金して即時にU銀行に送金するのか =>新規設立する会社の出資金なので速やかに処理したい
わたくしはっきりと答えました、
「840円の送金手数料を支払うのが納得いかないので、こちらの銀行の口座からなら無償で送金できるため、持ってきました。この資金は、ここからすぐ近くのM銀行に預けてありました。必要なら払い戻時の控えをご覧になりますか?」
窓口嬢、困り顔。しばし沈黙の後、裏手に下がり、上司の指示を仰いでいる模様。
銀行のフロアは人影はまばら、お客はほとんどいないのに、かれこれ40分位待たされました。
窓口嬢戻ってきまして、
「お客様のご事情はよく理解できました。ただ、当局の指導がありまして…」
と歯切れが悪い。私が、資金が期日までに振り込まれないと、その後のビジネスに多大な問題が起こると、食い下がると、困り果てた顔で、再度裏手に、しばし待たされ、ようやくOKが出ました。
今までの事を整理してみると、
1、現金を窓口に持参し入金、2その後即他行へ送金する旨の依頼、この2つの組み合わせがどうもよろしくなかったようです。
金額自体は、かわいいものだったので銀行側の都合というよりは、”当局の指導”が引っかかっていたらしい。つまり、怪しい現金を持ち込んで、それをX銀行からU銀行に送金することで、”お金の洗濯”をしている恐れがあるとみなされ社内チエックに時間がかかっていたらしい。
当局の指導、という点では、X銀行は当時も今も時々”当局”から指導を受けているため、余計に神経質になっていたのかもしれません。
あるいは、私の風貌が怪しすぎて、株を売って得た資金、や会社設立の出資金、という答えに信憑性がなかったのかも???
お話は長くなりましたが、マネーロンダリング疑惑(?)をかけられるというレアな体験をすることができました。
長い間待たされた甲斐あり、出資金は無事無料で振り込まれ、予定通りの日程で会社設立は完了しました。(1時間かけて840円の節約ってどうよ、と今は思い、反省しています)
ちょつと暑苦しいお話になってしまいましたが、いろいろ経験できて面白い一日でした。
2012年8月27日月曜日
Orz... 間に合わない…
前回、求職活動でとある企業の選考を通過しなかった理由を、エージェントさんに聞かせていただいたところまでお話しました。
で、選考を通らなかつた理由は、性別だそうである。かなり、びっくりしました。
流通小売業(一般家庭向けの消費財)での社員教育をするのに性別が関係するのか、中国と言う男女同権の(場合によっては女性の方が強い)市場に出ていくのに、「教育係は男性」と決める企業。(ちなみに私は女性です。)
打ちのめされたというか、腰の力が抜けた。
これは30年前の話ではない。2011年春の日本での出来事である。
さらに、この話を別の会社のエージェントさんにしたら、「まーそうでしょうなー、海外出張等女性では一人ではいかせられないでしょうしね」との事。
しばし、沈黙。 「そうか、そんな風に思うのか。」ある時期私は、2週間おきに中国に出張しており、もちろん1人で、とうとう、パスポートの査証ページが足りなくなり旅券課で追加のページを足してもらった経験がある。
てな、訳で、教育係の選考に性別を条件とする企業がある事も、女性一人で海外出張を命じることを躊躇すると考える転職エージェントがいる事も、びっくり。ただただ茫然とした。
暫くして気を取り直し、今後の事を考えた。
どうやら周囲はカメの歩のごとく、25年前とあまり変わっていないらしい。社会が変わるまで待っていたら私の人生が先に終わってしまいそうある。ならいっそのこと、理想の場所を探しに行くのではなく、自分で理想の仕事を作ろう、とその時は無謀にも考えたのである。
長くなったが、これがわたしが会社を創った1つ目の訳、である。
2012年8月25日土曜日
今は何時代か?えーーっ今でもそうなの!!
前回の投稿通り、震災直後から求職活動を本格的に始めることになった。
実質上、結果は全戦全敗。中にはこちらからお断りしたものもあったが、端的に言うと、心ときめく職場にたどり着くことは難しいぞ、と言うのがその当時の感触であった。
丁度震災の頃、私は、クラスメートと卒業旅行中、米国の流通小売の現状視察と称しハワイにいた。旅先でメールをチェックすると、ととあるエージェントさんから面談したいとの連絡。帰国後早々に事務所を訪ねた。
どうやら話を進めるうちに先方との方向性のミスマッチが明らかになり、ではまた別の機会にという事になった。ところが、事務所を出て15分も経過した頃、先ほどのエージェントさんからの電話が鳴った。同じ事務所の同僚が担当している案件が適合しそうなので、もしよければこの後すぐにで、ももう一度会いたいとのこと。もちろん、その場で回れ右をして、事務所に戻った。
今度の案件は某流通小売店が中国への多店舗展開の本格化を計画中で、現地スタッフの育成係いとのこと。現地で選抜された幹部候補を日本に招へいして実施するため勤務地は国内。内容としては大変興味があり応募することにした。
数日後、エージェントさんから連絡があり、書類選考に通過しなかった旨を知らされた。こちらのエージェントさんは大変親切な方で、初回面談の際に貴重なアドバイスを下さった。それは、採用不採用に関わらず、その理由を聞いてみなさい、という事だった。選考理由など、尋ねても教えてもらえるはずがないと思い込んでいた私は、正直驚いた。応募者が選考結果の理由を知りたいのは当然で、そうでないと有効な改善策を打つことができない。一方企業側にとっては、応じるメリットはない。理由はともあれ不採用は不採用で、それに逐一つ対応していたら本来の業務に支障をきたすだろう、誤解を招いて逆恨みされることもあるだろう。だから開示しないのは当然とあきらめていた。
このあたりは企業側とエージェントさんの関係性やエージェント企業の考え方にもによるのであろうが、その方は言行一致で、企業側の不採用の理由をきちんと自分に教えてくれた。企業は必要な人材のスペックをエージェントさんに伝えておかないとなかなか求める人材を照会してもらえないだろうから、エージェントさんは知らされているのだろうが、応募者には明かさないものだと思っていた。
不採用理由は…。
職歴、経験、勤務地からの距離その他含め全て要求を満たしていたが1つだけ適合しないものがあったのだ。
次回につづく…
実質上、結果は全戦全敗。中にはこちらからお断りしたものもあったが、端的に言うと、心ときめく職場にたどり着くことは難しいぞ、と言うのがその当時の感触であった。
丁度震災の頃、私は、クラスメートと卒業旅行中、米国の流通小売の現状視察と称しハワイにいた。旅先でメールをチェックすると、ととあるエージェントさんから面談したいとの連絡。帰国後早々に事務所を訪ねた。
どうやら話を進めるうちに先方との方向性のミスマッチが明らかになり、ではまた別の機会にという事になった。ところが、事務所を出て15分も経過した頃、先ほどのエージェントさんからの電話が鳴った。同じ事務所の同僚が担当している案件が適合しそうなので、もしよければこの後すぐにで、ももう一度会いたいとのこと。もちろん、その場で回れ右をして、事務所に戻った。
今度の案件は某流通小売店が中国への多店舗展開の本格化を計画中で、現地スタッフの育成係いとのこと。現地で選抜された幹部候補を日本に招へいして実施するため勤務地は国内。内容としては大変興味があり応募することにした。
数日後、エージェントさんから連絡があり、書類選考に通過しなかった旨を知らされた。こちらのエージェントさんは大変親切な方で、初回面談の際に貴重なアドバイスを下さった。それは、採用不採用に関わらず、その理由を聞いてみなさい、という事だった。選考理由など、尋ねても教えてもらえるはずがないと思い込んでいた私は、正直驚いた。応募者が選考結果の理由を知りたいのは当然で、そうでないと有効な改善策を打つことができない。一方企業側にとっては、応じるメリットはない。理由はともあれ不採用は不採用で、それに逐一つ対応していたら本来の業務に支障をきたすだろう、誤解を招いて逆恨みされることもあるだろう。だから開示しないのは当然とあきらめていた。
このあたりは企業側とエージェントさんの関係性やエージェント企業の考え方にもによるのであろうが、その方は言行一致で、企業側の不採用の理由をきちんと自分に教えてくれた。企業は必要な人材のスペックをエージェントさんに伝えておかないとなかなか求める人材を照会してもらえないだろうから、エージェントさんは知らされているのだろうが、応募者には明かさないものだと思っていた。
不採用理由は…。
職歴、経験、勤務地からの距離その他含め全て要求を満たしていたが1つだけ適合しないものがあったのだ。
次回につづく…
2012年8月22日水曜日
~途方に暮れる日本人@海外 郷に入らば郷に従え~
大学院在籍中に「途方に暮れる日本人@海外 郷に入らば郷従え」と言うタイトルで書き始めたブログ。もともとの説明(下記参照)にあった様に、私自身の受けたカルチャーショックが発端であった。
ある日の事、部門間の職掌に取り残されてしまった仕事が原因で、お客様が困っているのを見かねて同僚に相談に出かけた。 「これは私の仕事ではありません。」母国語の他に、日英の3ヶ国語を操り、てきぱきといわば仕事をこなす彼女が穏やかな笑みをたたえてこう答えた。 ヨーロッパから来た同僚は"It's not my business"の後ろにご丁寧にも" full stop"と付け加え、何もなかったように話題を変えた。両者の反応に困惑する一方で、あまりにも自然な拒絶に、私の方が何かおかしいのかしら...と振り返ってみるが理解不能。 でも彼らには彼らなりの事情があったのだ…
研究のテーマをきめるきっかけでもあった出来事であった。
学生生活は文字通り瞬く間に過ぎ、無事論文も完成し、卒業、再就職の予定でいた。
卒業式は2011年3月末、あの東日本大震災の直後であった。 求職活動は本人の心がけの悪さもあり難航した。そんな折、新たなカルチャーショックを受け、私は起業を決意する事となった。 その後の経験を、書くためにブログタイトルを変更することにした。
ある日の事、部門間の職掌に取り残されてしまった仕事が原因で、お客様が困っているのを見かねて同僚に相談に出かけた。 「これは私の仕事ではありません。」母国語の他に、日英の3ヶ国語を操り、てきぱきといわば仕事をこなす彼女が穏やかな笑みをたたえてこう答えた。 ヨーロッパから来た同僚は"It's not my business"の後ろにご丁寧にも" full stop"と付け加え、何もなかったように話題を変えた。両者の反応に困惑する一方で、あまりにも自然な拒絶に、私の方が何かおかしいのかしら...と振り返ってみるが理解不能。 でも彼らには彼らなりの事情があったのだ…
研究のテーマをきめるきっかけでもあった出来事であった。
学生生活は文字通り瞬く間に過ぎ、無事論文も完成し、卒業、再就職の予定でいた。
卒業式は2011年3月末、あの東日本大震災の直後であった。 求職活動は本人の心がけの悪さもあり難航した。そんな折、新たなカルチャーショックを受け、私は起業を決意する事となった。 その後の経験を、書くためにブログタイトルを変更することにした。
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