2011年2月13日日曜日

修論提出できました

先週の木曜日、どうにか修士論文を提出することが出来ました。
お忙しい時間を割いて聞取り調査にご協力くださった皆様、最後の最後まで親身になってご指導くださった、主査の先生に心より感謝いたします。

生まれて初めて修士論文を書くという経験をし、私なりに多くを学びましたが、今の時点で一番心に残っていることを書きます。
論文執筆の終盤になり、心と体力の余裕がなくなってきた頃、指導教官から指摘を受けました。
「君の論文には不揃いがある。1つは形式の不揃い、2つ目は内容の不揃い。どちらも作成者のIntelligenceを疑われるから、気をつけなさい。」と教えてくださいました。
院生としての課題で他にもいくつか報告書を書き、その度に第3者の校正により、何とか統一感を保てるようにしていましたが、それが全然身についていないのにまず自己反省。
次に、”なぜ、不統一がいけないのか”先生に指摘されるまで考えたことがなかった事に気づき赤面。先生の言葉に今更ながら、そういうことだったのねと納得しました。(あー、私って今まで何も考えずに生き、やらかしてきてしまったのね…)

さらに続きがあります。
提出直前に家人に頼み込み、”形式の不統一”を中心にチェックをしてもらいました。彼には、研究内容を一切知らせていなかったので、この人が読んである程度意図が伝わるなら何とか最低水準はクリアできているのかな、と考えたのです。かくして、気の毒な恐妻家は平日の深夜にコーヒー2杯とゴディバのチョコレート1粒で、修論の赤ペン入れという災難に巻き込まれることになったのです。
3時間後、彼から帰ってきた答えは…
「文末やその他、表記がバラバラで、これだと書いた人がアホに見えるよ。」
でした。言葉の格調は格段の差がありますが、表現の不統一について先生に教えていただいたこと同じ指摘でした。
ショックだったのは、なぜ不統一がいけないのかを彼は知っていた事です。ということは、たぶん、世の中の人はたいていこういうことを知ってるのでしょう。

自分がものを考えずに暮らしてきたことの反省と、自分の無知を自覚した出来事でした。

当然、不揃いを指摘された箇所はすべて修正してから提出しましたが、研究内容以外にも自分自身について多くを学ぶことのできた一年でした。

別の日に先生は、「自覚することと、それを直せることは、また違うけれどね…」ともおっしゃいました。
自覚できたことは、個人的には進歩だと信じ、今更ながらロジカルライティングの勉強をしようと思いました。

2011年1月13日木曜日

修論のストーリー作りで途方にくれる

修論のストーリー作りをしています。
これでOK!と目次を印刷し、帰路の電車で見直してみると、話題がぴょこぴょこ飛んでいます。これじゃ、もし仮に辛抱強く最後まで読んでくださる方がいても、意図は伝わらないと思いました。忙しい方は、最後まで読んでくださらないでしょう。orz
 そういえば、4月頃の授業で、ある教授が、論文は早めに書き上げて、少し間をおいてから読み直してみるべし、と教えてくださいました。その訳は、書いている時の思考から離れて客観的に見直すには冷却期間が必要だという事でした。今、このことを実感しています。
 幸い今は冬だから、急速冷却できるかも…なんてつまらないこと言ってる場合じゃない、ですね。
  

2011年1月7日金曜日

途方に暮れるのは日本国内でも一緒?

前回、スマホ購入の場面で経験した日本国内での出来事を書きました。
このブログを書いた当初は、超ドメスティックな日本人が仕事で海外に行き途方に暮れる様子を中心に書こうと考えていました。
最近は、上手くグローバル化に対応できず国内でも途方に暮れている日本人を時々見かけます。これはこれで問題です。

2011年1月3日月曜日

あけましておめでとうございます

今年もよろしくお願いいたします。

グローバル化といわれて久しいですが、先日この言葉を身をもって感じる場面に出会いました。

友人が、スマートフォンを買いに東京近郊の家電量販店に行きました。
費用対効果を厳しく追及するその人は、某キャリアでまずルータを購入し、それを即時スマートフォンに機種変更するという方法を取りました。細かい経緯は省略しますが、友人のライフスタイルではこの方法が最も便利でコストパフォーマンスが良いのだそうです。

店頭で接客してくれたのは、名札に書かれたお名前からすると外国人の様でした。
携帯を新規購入をするための名義確認、事務処理に加え、即日の機種変更等など、いまだガラパゴス携帯を使用している私には、皆目見当のつかない複雑な処理をてきぱきとこなし(もちろん申し込み書類等は全て日本語で記載)、本社での確認作業時間等含め、1時間と少しで私の友人は、目的のスマートフォンとルータを入手しました。

傍で見ていた私は、グローバル競争ってこういうことなのね、と思いました。
外国語で、面倒なお客の問い合わせに応じ、複雑な事務処理も普通にこなしてしまう人材がいれば、あえて日本人採用にこだわる必要性は無くなる。その業務のできる最適な人材が、職を得るというきわめてシンプルで自然な結果なのでしょう。一方で、わが国の有効求人倍率は...

少々、大げさかもしれませんが、日本人の労働力としての価値は、そして私自身の強みは…と考えさせられる出来事でした。