2012年8月27日月曜日

Orz... 間に合わない…



前回、求職活動でとある企業の選考を通過しなかった理由を、エージェントさんに聞かせていただいたところまでお話しました。
で、選考を通らなかつた理由は、性別だそうである。かなり、びっくりしました。

流通小売業(一般家庭向けの消費財)での社員教育をするのに性別が関係するのか、中国と言う男女同権の(場合によっては女性の方が強い)市場に出ていくのに、「教育係は男性」と決める企業。(ちなみに私は女性です。)

打ちのめされたというか、腰の力が抜けた。
これは30年前の話ではない。2011年春の日本での出来事である。

さらに、この話を別の会社のエージェントさんにしたら、「まーそうでしょうなー、海外出張等女性では一人ではいかせられないでしょうしね」との事。
しばし、沈黙。 「そうか、そんな風に思うのか。」ある時期私は、2週間おきに中国に出張しており、もちろん1人で、とうとう、パスポートの査証ページが足りなくなり旅券課で追加のページを足してもらった経験がある。

てな、訳で、教育係の選考に性別を条件とする企業がある事も、女性一人で海外出張を命じることを躊躇すると考える転職エージェントがいる事も、びっくり。ただただ茫然とした。


暫くして気を取り直し、今後の事を考えた。
どうやら周囲はカメの歩のごとく、25年前とあまり変わっていないらしい。社会が変わるまで待っていたら私の人生が先に終わってしまいそうある。ならいっそのこと、理想の場所を探しに行くのではなく、自分で理想の仕事を作ろう、とその時は無謀にも考えたのである。

長くなったが、これがわたしが会社を創った1つ目の訳、である。



2012年8月25日土曜日

今は何時代か?えーーっ今でもそうなの!!

前回の投稿通り、震災直後から求職活動を本格的に始めることになった。
実質上、結果は全戦全敗。中にはこちらからお断りしたものもあったが、端的に言うと、心ときめく職場にたどり着くことは難しいぞ、と言うのがその当時の感触であった。

丁度震災の頃、私は、クラスメートと卒業旅行中、米国の流通小売の現状視察と称しハワイにいた。旅先でメールをチェックすると、ととあるエージェントさんから面談したいとの連絡。帰国後早々に事務所を訪ねた。

どうやら話を進めるうちに先方との方向性のミスマッチが明らかになり、ではまた別の機会にという事になった。ところが、事務所を出て15分も経過した頃、先ほどのエージェントさんからの電話が鳴った。同じ事務所の同僚が担当している案件が適合しそうなので、もしよければこの後すぐにで、ももう一度会いたいとのこと。もちろん、その場で回れ右をして、事務所に戻った。

今度の案件は某流通小売店が中国への多店舗展開の本格化を計画中で、現地スタッフの育成係いとのこと。現地で選抜された幹部候補を日本に招へいして実施するため勤務地は国内。内容としては大変興味があり応募することにした。

数日後、エージェントさんから連絡があり、書類選考に通過しなかった旨を知らされた。こちらのエージェントさんは大変親切な方で、初回面談の際に貴重なアドバイスを下さった。それは、採用不採用に関わらず、その理由を聞いてみなさい、という事だった。選考理由など、尋ねても教えてもらえるはずがないと思い込んでいた私は、正直驚いた。応募者が選考結果の理由を知りたいのは当然で、そうでないと有効な改善策を打つことができない。一方企業側にとっては、応じるメリットはない。理由はともあれ不採用は不採用で、それに逐一つ対応していたら本来の業務に支障をきたすだろう、誤解を招いて逆恨みされることもあるだろう。だから開示しないのは当然とあきらめていた。

このあたりは企業側とエージェントさんの関係性やエージェント企業の考え方にもによるのであろうが、その方は言行一致で、企業側の不採用の理由をきちんと自分に教えてくれた。企業は必要な人材のスペックをエージェントさんに伝えておかないとなかなか求める人材を照会してもらえないだろうから、エージェントさんは知らされているのだろうが、応募者には明かさないものだと思っていた。

不採用理由は…。
職歴、経験、勤務地からの距離その他含め全て要求を満たしていたが1つだけ適合しないものがあったのだ。

次回につづく…


2012年8月22日水曜日

~途方に暮れる日本人@海外 郷に入らば郷に従え~

大学院在籍中に「途方に暮れる日本人@海外 郷に入らば郷従え」と言うタイトルで書き始めたブログ。もともとの説明(下記参照)にあった様に、私自身の受けたカルチャーショックが発端であった。

  ある日の事、部門間の職掌に取り残されてしまった仕事が原因で、お客様が困っているのを見かねて同僚に相談に出かけた。 「これは私の仕事ではありません。」母国語の他に、日英の3ヶ国語を操り、てきぱきといわば仕事をこなす彼女が穏やかな笑みをたたえてこう答えた。 ヨーロッパから来た同僚は"It's not my business"の後ろにご丁寧にも" full stop"と付け加え、何もなかったように話題を変えた。両者の反応に困惑する一方で、あまりにも自然な拒絶に、私の方が何かおかしいのかしら...と振り返ってみるが理解不能。 でも彼らには彼らなりの事情があったのだ…


 研究のテーマをきめるきっかけでもあった出来事であった。
学生生活は文字通り瞬く間に過ぎ、無事論文も完成し、卒業、再就職の予定でいた。
卒業式は2011年3月末、あの東日本大震災の直後であった。 求職活動は本人の心がけの悪さもあり難航した。そんな折、新たなカルチャーショックを受け、私は起業を決意する事となった。 その後の経験を、書くためにブログタイトルを変更することにした。